奈良県で進められていた鉄道整備の巨大プロジェクト──「大和西大寺駅の高架化」および「平城宮跡を横切る近鉄奈良線の移設・地下化」計画が、思わぬところで頓挫している。
いま見えているのは「案の対立」だ。奈良県は"高架化だけでいい"と方針転換を打ち出し、奈良市は"そんなの合意違反だ"と反発。計画に深く関わるはずの近鉄や関係省庁は沈黙を保ったまま、第三回の協議会すら開かれない。
けれど、ここで目を向けるべきは「どちらの案が正しいか」ではない。もっと根本的に、この数千億円規模の事業を前にして、「なぜ関係者が同じテーブルに着いて議論できないのか?」という点にある。
🏗️ 計画の変遷──「地下化+高架化」から「高架化だけ」へ
もともと、奈良県・奈良市・近鉄の三者は、大和西大寺駅の高架化に加え、世界遺産・平城宮跡を横切る近鉄奈良線を南側に移設・地下化するという構想で基本合意していた。この計画は、道路渋滞や危険な踏切の解消に加え、景観や文化財への配慮を含んだものだった。
しかし2023年に就任した山下真知事は、その「セット案」に対し待ったをかける。「地下化まで含めると費用も時間も大きすぎる。まずは駅の高架化だけを先にやるべき」と、新たな整理案を提示した。
奈良県は新方針に従い、高架化後の新しい駅イメージ図を作成し、交通シミュレーション調査にも予算をつけた。だがそれに奈良市が強く反発。「それはもう当初の合意とは違う。議論の前提が崩れている」として、協議会の開催にすら応じなくなった。
🤝「誰が悪い」より「誰が話してないのか」
一見すると、「県と市の対立」という構図だが、本質はそうではない。この規模の公共インフラ計画において、関係者全員が一堂に会して議論する"定例の協議体"が設計されていなかったことが、事態の硬直化を生んでいる。
奈良県、奈良市、近鉄、そして関係省庁(国土交通省や文化庁)、さらには住民や文化財保護の団体──これだけ多様なステークホルダーが関わるプロジェクトで、しかも40年・2000億円にも及ぶ長期計画であるにもかかわらず、月1回でも顔を合わせるような議論の場が制度として存在していなかった。これは異常とも言える。
議論の途中で意見が変わるのは当たり前だ。合意を更新するのも、妥協案を探るのも、対等な話し合いがあるからこそできることだ。
今のように、誰かが一方的に案を発表し、それにメディア経由で反論するような形では、誤解は深まるばかりである。
🚇 当事者なのに「蚊帳の外」──近鉄や国はどうした?
さらに不思議なのは、鉄道運行の当事者である近鉄の影が極めて薄いことだ。
大和西大寺駅も近鉄奈良駅も、自社路線上にあり、仮に平城宮跡を迂回するとなれば路線は延び、運行コストも変わる。さらに、駅を増やせという意見も一部で出ているが、これが実現すれば奈良―大阪間の所要時間は確実に延び、JRとの競争力にも影響が出かねない。
国の関係機関──国交省、文化庁など──もまた、補助金や景観保護、文化財管理の観点から無関係ではない。にもかかわらず、議論に積極的に関与している様子が見えない。まるで「誰かがうまくやってくれるだろう」と思っているかのようだ。
🛑 地下化が止まったことよりも、"話し合いが始まってすらいない"ことが問題
「地下化を断念するのはけしからん」「いや、現実的な範囲で進めるしかない」──こういった意見のぶつかり合いは、ある意味では健全だ。でも今、起きているのはその前段階。「話し合いの場」そのものが消滅しているのだ。
三者協議会は途中で止まり、ステークホルダーが一斉に介するような「定例会議」も設けられていない。情報共有すらバラバラな状態では、どんな案を出しても、どんなに良いビジョンを描いても、実現に向かって動き出すことはできない。
🧩 結び:「地下化」よりも「対話の場」を掘り下げよう
線路が地下に潜るか、地上を走るかは重要な問題だ。しかしそれ以上に、この計画は「対話の場」が表に出てこないことのほうが深刻に見える。
意見の違いはあって当然。むしろその違いをどう擦り合わせるかこそが、公共事業の本当の技術であり、政治の仕事だろう。
線路をつなぐ前に必要なのは、関係者が立場を越えて"対等に座るテーブル"ではなかったか?もしそれすら設計されていなかったなら、いま計画が止まったことはむしろ「起こるべくして起こった」自然な結果だ。
もう一度、「話し合いの線路」から敷き直すべき時が来ている。
2025/06/07補記 2025/06/07奈良新聞より 23年7月に部長級の県と市 近鉄の3者協議会初会合で高架化のみとの比較検討で合意 市は2回目以降時期早々と協議会開催に応じず
2025/6/16 追記
参考文献・情報源
近畿日本鉄道・奈良県・奈良市「大和西大寺駅付近踏切道の改良等に関する基本計画書」(2021年3月) - 国土交通大臣提出資料
「知事 就任あいさつ」奈良県公式ホームページ, 2023年
乗りものニュース「知事交代で『待った』近鉄奈良線『大和西大寺~近鉄奈良 移設・地下化』どんな計画?」2023年5月15日
Wikipedia「山下真」項目(2025年5月1日版)
事業構想オンライン「奈良県・山下真知事 新産業政策で奈良の潜在力を引き出す」2024年9月号
※ 本記事で取り上げた事実関係については、上記の公式資料および報道機関の記事を参照しています。分析部分は筆者の見解です。