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東京こそ世界最高のコンパクトシティである~コンパクトシティ論の欺瞞~

コンパクトシティ論でよく聞く「海外は成功している」という話には、実に気持ちが悪いものがある。なぜならば、その議論は日本、特に東京の実情を完全に無視しているとしか思えないからだ。

東京は既に世界最高のコンパクトシティである

東京は世界一密集した都市であり、鉄道路線も多数存在し、運行本数も段違いに多い。ニューヨークより遥かに多いのである。しかも通勤ラッシュでは人を限界まで詰め込んで輸送している。これは二酸化炭素排出を考えた場合に最もエコロジカルな都市システムと言えるだろう。

JR山手線だけでも2-4分間隔で運行し、地下鉄網も含めると世界最高密度の鉄道ネットワークを構築している。乗車率150%を超える満員電車による大量輸送は、CO2排出量の観点から究極の効率性を実現している。

海外事例との根本的な前提の違い

もうひとつよく話に出るのがLRTやBRT、自転車専用レーンであるが、これらは鉄道路線が日本より海外は少ないため、自宅の距離が長くなる。その結果歩けない距離になり自動車利用になりがちのため、中間の手段として自転車に導入されているに過ぎない。

一方、東京の住宅は駅まで徒歩圏内が多く、自転車すら必要ないのである。つまり東京自体が、もっともコンパクトに整備された街と言っていい。

海外でよく取り上げられるストラスブールLRTコペンハーゲンの自転車レーンなども、結局は「車依存からの脱却」という段階の話である。東京のように最初から徒歩圏内に駅があり、電車だけで生活が完結する環境とは前提条件が全く違う。

それにもかかわらず、この前提の違いを差し置いて「外国がコンパクトシティ化に成功している」と言うから話がややこしいのだ。

地方都市はまた別の次元の問題

しかし、東京のコンパクトシティ論とは全く別の次元で、地方都市には深刻な問題がある。そして、ここでも海外が見本になるかというとそうでもない。

地方部で一番問題なのは、地方の駅前や密集地域ではなく限界集落である。この限界集落に対する予算が、人口減少にもかかわらず維持し続けなければならないことが最大の課題だ。

人口数十人の集落にも上下水道、電気、道路維持、除雪、医療・福祉サービスを提供し続けるコストは、人口減少により加速度的に一人当たり負担が増大している。

実はこの限界集落議論こそが一番の問題である。なぜなら、限界集落を無くすには「人を移動させて限界集落を潰す」しかないからだ。この議論は、民主主義の根幹をなす重要な問題である。住民の居住権、地域コミュニティの歴史、土地への愛着を無視することはできない。

さらに決定的なのが持ち家率の違いだ。日本は賃貸より持ち家が多く、家自体が生活の幹になっている。日本の持ち家率は約6割で、特に地方では7-8割に達する。家は単なる住居ではなく、資産であり、家族の歴史であり、アイデンティティの核心部分なのである。

海外の賃貸中心社会とは前提が根本的に異なるのに、この違いを無視して、あるいは意図的に無視してコンパクトシティ議論を展開するのは無意味と言っていい。

日本で成功したとされているコンパクトシティは実は単なる再開発の延長上で人を呼ぶことであり、総インフラコストを減らしたという実績は筆者が知る限り聞いたことがない。

現実に即した議論を

問題は、東京という世界最高のコンパクトシティの実例がありながら、海外の取り組みを「先進的」として紹介し、日本の現状を「遅れている」かのように論じる風潮である。

地方においても、限界集落という根本問題を避けて通り、結局は駅前再開発をLRT・BRT・自転車専用レーンという心地よいキーワードで包装するだけの政策論が量産されている。

本当に必要なのは、東京の優れたシステムを正当に評価し、地方の限界集落問題という日本特有の構造を前提とした、全く新しい都市論なのである。

海外事例の盲目的な礼賛ではなく、足元の現実に即した議論こそが求められている。


英語バージョンはこちら The Uncomfortable Truth About "Successful" Overseas Compact Cities - JP(Japan)+Tra(Traffic)+Man