はじめに
「説明責任」「透明性」「アカウンタビリティ」。これらの言葉を聞くと、なんとなく良いもののように感じる。民主的で、公正で、責任感があるように聞こえる。
しかし、説明責任を重視することと、大胆な判断で社会を前進させることは、根本的にトレードオフの関係にあるのではないだろうか。
私たちは、このトレードオフを自覚せずに制度設計をしていないか。その結果、革新の芽を摘んでしまっていないか。
説明責任が阻む革新のメカニズム
説明責任を求めるシステムには、構造的な問題がある。
未来は誰にもわからない。
革新的な取り組みほど、事前に効果を証明することは不可能だ。なぜなら、それまで存在しなかったものの価値を、既存の枠組みで説明することはできないからだ。
説明責任を重視すると、必然的に「説明しやすいこと」しか実行されなくなる。つまり、既存の枠組みの中で、過去のデータで効果を証明できることに限定される。これは本質的に保守的で、現状維持志向のアプローチだ。
もし説明責任があったら、歴史的革新は生まれていたか
東海道新幹線(1964年開業)
当時、最高時速200キロで走る電車など、世界のどこにも存在しなかった。
厳格な説明責任システムがあったら、委員会での議論はこうなっただろう:
- 「技術的に実現可能性が証明されていない」
- 「建設費が膨大すぎる。在来線の改良で十分ではないか」
- 「飛行機との競争に勝てる根拠がない」
- 「事故が起きた時の責任は誰が取るのか」
- 「採算性のシミュレーションが不十分」
現在の基準なら、間違いなく「時期尚早」として却下されていたはずだ。
しかし、十河信二(国鉄総裁)と島秀雄(技師長)は「これからの日本には高速鉄道が必要だ」という直感で突き進んだ。論理的な説明よりも、未来への確信が決断を支えていた。
東名高速道路(1969年全線開通)
当時の日本は「モータリゼーション前夜」。自動車普及率は低く、「なぜ高速道路が必要なのか」を数値で証明することは困難だった。
説明責任を重視するシステムなら:
- 「自動車保有台数から見て需要が少なすぎる」
- 「建設費に見合う通行料収入が見込めない」
- 「既存の国道を整備すれば十分」
- 「山間部の建設は技術的リスクが高すぎる」
- 「環境への影響が未知数」
しかし、岸信介首相や道路族の政治家たちは「日本も自動車社会になる」という未来像を信じて建設を推進した。データではなく、時代を読む直感が決断を支えていた。
東京オリンピック(1964年)
戦後復興もままならない1959年に東京オリンピック招致を決めた日本。これも説明責任の観点からは無謀な挑戦だった。
想定される反対意見:
- 「インフラ整備が間に合わない根拠がない」
- 「予算の裏付けが不十分」
- 「海外からの観光客数の予測が楽観的すぎる」
- 「失敗した場合の国家的損失をどう責任を取るのか」
- 「他の社会保障予算を削ってまで開催する必要性が不明」
しかし、池田勇人首相をはじめとするリーダーたちは「オリンピックが日本を変える」という確信で突き進んだ。
iPhone(2007年発売)
スティーブ・ジョブズがiPhone開発を決断した時、市場調査は否定的だった。当時はBlackBerryが企業市場を支配し、「物理キーボードがなければビジネスで使えない」というのが常識だった。
もしAppleに厳格な説明責任システムがあったなら:
- 「タッチスクリーンは誤操作が多く実用的でない」
- 「既存の携帯電話で十分。革新の必要性が不明」
- 「開発コストに見合う市場があるか疑問」
- 「技術的リスクが高すぎる」
委員会の結論は「却下」だっただろう。しかし、ジョブズは「人々がまだ気づいていない欲求」を直感で感じ取り、説明不可能な革新を断行した。
SpaceX(2002年設立)
イーロン・マスクが民間宇宙事業を始めた時、専門家の99%が「不可能」と断言した。ロケット産業は国家や巨大企業の独占領域で、スタートアップが参入できる余地はないとされていた。
説明責任を重視するシステムなら:
- 「民間企業が宇宙開発で成功した前例がない」
- 「技術的難易度とコストの試算が楽観的すぎる」
- 「既存の宇宙機関で十分。民間参入の必要性なし」
- 「失敗時のリスクが巨大すぎる」
しかし、マスクは「宇宙開発のコストを10分の1にできる」という直感を信じて突き進んだ。現在、SpaceXは世界最大の宇宙輸送企業になっている。
トレードオフの構造
これらの事例が示すのは、説明責任と大胆な判断が根本的にトレードオフの関係にあるということだ。
説明責任を重視すれば:
- 不正や無駄は減る
- 民主的プロセスが保証される
- リスクが事前に評価される
- しかし、革新的な挑戦は阻まれる
大胆な判断を許容すれば:
- 革新的なプロジェクトが生まれる
- 時代を先取りした変革が可能になる
- 競争力のある国家・企業になれる
- しかし、失敗や無駄も増える
直感的判断の価値
優れたリーダーや革新者の多くは、直感で判断している。「これは必要だ」「時代がこれを求めている」という感覚で決断し、論理的な説明は後付けだ。
十河信二は新幹線について、技術的詳細よりも「日本の未来」を語った。ジョブズは市場調査よりも「ユーザーがまだ気づいていない欲求」を信じた。マスクはデータよりも「人類の宇宙進出」というビジョンを追求した。
この直感は、長年の経験、時代への深い洞察、未来を読む能力から生まれる。それは数値化も言語化も困難な、極めて個人的で主観的な判断だ。
しかし、説明責任を重視するシステムでは、このような直感的判断は「非科学的」「主観的すぎる」として排除される。
現代日本の選択
現在の日本は、明らかに「説明責任」の側に舵を切っている。
政策決定には膨大な調査研究と委員会審議が必要とされ、企業の投資判断には詳細な費用対効果分析が求められる。失敗に対する社会の批判は厳しく、リスクを取ったリーダーは「無責任」として糾弾される。
その結果、大胆な改革や革新的なプロジェクトは生まれにくくなった。これは「劣化」ではなく、意識的な選択の結果だ。
問題は、私たちがこのトレードオフを十分に理解せずに選択していることだ。「説明責任は良いもの」という思い込みで、そのコストを検討せずに制度を導入している。
どちらを選ぶべきか
では、どちらを選ぶべきなのか。
答えは単純ではない。説明責任にも大胆な判断にも、それぞれメリットとデメリットがある。重要なのは、このトレードオフを自覚して、意識的に選択することだ。
ただし、現在の日本は明らかに説明責任に偏りすぎている。高度成長期と比べて、大胆な判断ができるリーダーが極端に少なくなった。
社会全体として革新性を取り戻すためには、ある程度は大胆な判断を許容する仕組みが必要ではないだろうか。
両立の可能性
完全な両立は不可能だが、使い分けは可能だ。
- 既存システムの運用:厳格な説明責任
- 革新的なプロジェクト:直感的判断を許容
- 小規模な実験:大胆な挑戦を奨励
- 大規模な実行:説明責任を重視
重要なのは、「すべてに説明責任を求める」のではなく、場面に応じて使い分けることだ。
おわりに
もし現在の厳格な説明責任システムが1960年代にあったなら、新幹線も東名高速も東京オリンピックも実現していなかったかもしれない。同様に、もしAppleやSpaceXに厳格な説明責任システムがあったなら、iPhoneもSpaceXも存在しなかったかもしれない。
これは「説明責任 vs 大胆な判断」という、根本的なトレードオフの問題だ。
未来は不確実だ。だからこそ、完璧な説明を求めるのではなく、「どちらのリスクを取るか」を意識的に選択する必要がある。
現在の日本は、説明責任に偏りすぎている。革新的な挑戦を取り戻すためには、時には「なぜかはわからないが、これは必要だ」という決断を受け入れる勇気が必要だ。
このトレードオフを正面から議論し、バランスの取れた選択をすることが、社会を前進させる鍵なのではないだろうか。