以前、ある記事の中でこう書きました。
「開発優先で貴重な文化財を失った苦い過去」がある。1980年代の佐味田狐塚古墳の事例だ。道路建設のため、この貴重な古墳はほぼ全壊してしまった。 asklib.hateblo.jp
この文を書きながら思ったんです。
「えっ?古墳を道路のために破壊?それって完全にアウトじゃないか!?」
そんな正義感に燃えて、「これは現地取材してバチバチの批判記事を書くしかない!」と、奈良県広陵町の佐味田狐塚古墳跡に向かいました。
カメラ片手に、文化財破壊の現場を暴こうと意気込んで。
🏺 現地到着。「…これが古墳?」
駐車場に車を停めて、スマホの地図を頼りに歩いていくと……
ただの草地。そして、ちょっとした盛り上がり。
たしかに道路が丘を削ったようには見えます。でも……
「え?これが古墳?」
案内板には「佐味田狐塚古墳」と確かに書いてあります。でも目の前にあるのは、どう見てもただの丘。もし案内板がなかったら、絶対に古墳とは思えません。いや、案内板があっても「ほんとに?」と疑うレベルです。
丘の上に立って写真を撮ってみても、特に視界が開けるわけでもなく、迫力もない。
「これを“文化財破壊”って言われても、たぶん工事業者さん、気づけないんじゃ……?」
ここで、私の中の“正義の炎”は半分くらいしぼみました。



(※参考画像:「佐味田狐塚古墳を道路から撮影」など)
📜 案内板を読もうとしたけど…
「せめて歴史的価値くらいは理解して帰ろう」と、案内板を読んでみました。
でも……
何書いてるのか、わからん。
旧字体や専門用語だらけ。「○○年築造」「○○式古墳」「被葬者は○○と推定」みたいな文言が並び、正直、全然頭に入ってきません。
「これじゃあ古墳の価値を理解しろって方が無理だよ……」
ということで、正義の炎はさらにしょぼくなります。
🛣️ 「ダダオシ古墳」へ。透明古墳との遭遇
気を取り直して、次に向かったのは近くにある「ダダオシ古墳」。
ここは道路建設によって一部が削られた、という情報がありました。
「よし、こっちこそ文化財破壊の証拠を押さえてやる!」
と意気込んで現地に着くと……
どこが古墳なのか、マジでわからない。
前には気持ちのいい直線道路が2.3kmほど続いていて、2車線×片道で思わずドライブしたくなるレベル。
その脇にちょっと盛り上がっている場所があるけど、それが古墳跡なのかもよくわかりません。
これもう「透明古墳」じゃん。

🗺️ そして気づいてしまった「恐ろしい事実」
ちょっと混乱してきたので、近くの公園を歩いていると、小さな丘が。
「もしかして…?」と調べてみると、やっぱり三吉2号墳。
「お前も古墳かい」

ここで、奈良県の遺跡マップを確認してみると……戦慄しました。
このあたり、遺跡だらけじゃないか。
古墳マークが地図にポツポツ……いや、ポツポツどころじゃない。そこら中古墳です。
もう「丘に見えたら古墳」「ちょっと盛り上がってたら古墳」みたいな感じで、無数に存在している。
🙇♀️ そして私は建設業者さんに頭を下げた
この時点で、私の中の正義マンは完全に沈黙しました。
「いや……これ無理ゲーでしょ」
- 案内板がなければ、誰も古墳だとわからない
- 工事関係者が「これ古墳です」と判断するのは難しすぎる
- この辺り、地面を掘れば何かしら出てくるレベルで遺跡密度が高い
- 説明板の文章も一般人には理解困難
これで「なんで壊したんだ!」と責めるのは、ちょっと違う気がしてきました。
1980年代当時、今ほど文化財保護法も厳しくなかったし、GPSもネットもない。そもそもこの地域にどれだけ文化財があるかなんて、多くの人が知らなかったはずです。
むしろ今思うのは、
「この遺跡だらけの地域で建設工事してる皆さん、本当にお疲れ様です」
上下水道通すだけでも、とんでもない労力だと思います。
🤔 地下鉄工事の“ヤバさ”を体感
記事では「地下鉄工事の困難さ」にも触れましたが、実際に現地を歩いてみてようやく実感しました。
奈良で地下鉄を通すというのは、
「地下遺跡のデパートの中にトンネルを掘る」ようなもの
表面に見えてる古墳ですら「ただの丘」なのに、その地下にはもっと多くの遺跡が眠っている。
それらを避けながら、あるいはきちんと保護・調査しながら工事するのは、とんでもない時間・技術・費用がかかるはずです。
📝 結論:「怒る気持ちの行き場がなくなった」
「古墳壊したなんて許せない!」と怒るのは簡単です。
でも、実際に現地に行って歩いてみると、その怒りの矛先がわからなくなってくる。
上げた手を、どこに下ろせばいいかわからない。
過去の判断を一方的に責めるのではなく、**「今わかっているものをどう守るか」「開発と保護をどう両立するか」**を考える方が、きっと建設的です。
🌸 奈良の地で感じたこと
奈良の「ただの草地」や「何気ない丘」には、1300年前の物語が眠っています。
それは目に見えにくい歴史ですが、確かにそこにある。
説明がなければ誰も気づかない。だからこそ、今までたくさん失われてきた。
だからこそ今は、「わかっているもの」「見えているもの」を大切にしたい。
そしてそれを支える、考古学者さん、文化財保護の専門家、そして日々工事にあたる現場の皆さんに、改めて敬意を表したいと思います。
奈良で「批判記事を書こう」と思って現地取材に行ったら、批判する気持ちがどこかに消えてしまった話でした。
ぜひ一度、奈良の「見えない歴史」を歩いて感じてみてください。きっと新しい発見があるはずです。